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カメラなんて重いだけ

by miku tsuchiya

物に振り回された結果

悪ではなかった

島旅を通じて自分が何を撮りたいか分かった。

島旅の間は朝も昼も夜も風景写真を撮っていたけど、いつも何かが違うと思っていた。

誰かにやらされてる感じ。誰にやらされているんだろう。

島旅を始めてからというもの絶景を目の前にすると、こんな綺麗なものを目の前にしているんだから、撮らなきゃいけないと義務的な衝動でシャッターを切っていたように思える。

その絶景にシャッターを切りたい素直な衝動に駆られることはいつでも当たり前にあるけれど、

どこかに、重くて値段の高いカメラを持っているんだから、これで撮らないといけないという義務というか見栄があった。

そんな引っかかりがいつもあったから

いつも何か違う何が違うと自問自答していた。

撮ってる以外の時はただの重たい荷物でしかない大きなカメラ。

重い。そのこと自体がどこかストレスになっていた。

元々は白黒で手では触れられないその場の空気感みたいなものを撮るのが好きで、

今も昔も抽象的な表現や人や物や場所の質感を撮ることに興味がある。

単焦点の明るいレンズで撮った写真は物事の綺麗な面や汚い面をありありと表現出来て楽しい。

ズームが効かない分、自分の体をあれやこれやと動かし興味に突っ込んでいく体験も楽しい。

そんな私は、八重山の黒島で天の川という被写体に出逢う。

風景写真ではあるが、漆黒の闇の中に現れる天の川の、

この世を超越している星々の様は地上から感じることの出来る自然の壮大さを充分に表現出来るし、その画角に入れるものを変えたり敢えて光や雲を入れたりすることで抽象的にもなりえる。

あぁこれだ。

天の川にも当たり前に感動したが、

それよりも、

私が撮りたいのはこれだと

感動した。出逢った。

朝も昼も夜もカメラと替えのレンズが数本入った重たいリュックを背負って撮りたいもの探しを汗だくでしていた私は、この天の川との出逢いで朝から晩まで重たいリュックを背負わなくて良くなった。

撮りたいものが見つかるというのは、一日中肉体労働をしてようやく帰路について家のふかふかのソファにそのままなだれ込んだ時のような肉体的精神的な解放に似ている。

あぁ良かった。

もう島旅では重いカメラを常に持ち歩くことを辞めよう。

昼間はスマホかコンデジでいい。

身が軽くなる分、出来ること、感じ取れることが多くなることを期待して。

物に振り回された結果

悪ではなかった

遠回りしたり振り回されたりして、

一見無駄と思える過程を通過しなくては見えて来ないことがある。

何事も。

カメラなんて重いだけ。

でも、やみくもに朝から晩までシャッター切ってたら、

自分の知らなかった好きなものに出逢えた。

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