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おばあが教えてくれた『てぃんさぐぬ花』

by miku tsuchiya

沖縄県 慶良間諸島 座間味島の阿佐という、座間味港から少し離れた地区で出会ったおばあの話です。

私はその座間味島の阿佐にある宿に2日間泊まりました。
観光客で賑やかな座間味港周辺からは離れているので、ゆっくりとした島時間が流れています。
阿佐は阿護の浦という年間を通して穏やかな海に面していて、優しい波の音が一日中そよいでいました。
古来からこの阿護の浦は船舶の避難港として名の知られた深くて広い入江なんだそうです。

私はこの入江で座間味島で生まれ育ち、壮絶な戦争体験をした一人のおばあに出会いました。

その日の日の出は確か7時18分でした。
日の出の30分くらい前に宿を出て、その入江でコーヒーとパンを食べながら世界が変わっていく様に身を投じていました。島旅で一番好きな時間です。
その日はあいにくの強風で雲も出ていましたが、朝日が頭を見せると徐々に世界の色が塗り替えられていき、鳥たちがおしゃべりをし始めました。鳥って本当に朝日と共に活動を始めるんですよ。

そして太陽が昇り始めて30分くらいしたところに、
一人の可愛らしいおばあが手に何か小さい苗を持って歩いて来ました。
『おはようございます!風が強いですね』と私はおばあに声を掛けました。
こんな時、うちなーぐち(琉球語)でガァーーーっとくる人もいるんですが、そのおばあは私が分かりやすい言葉を選んでお話してくれました。
どうやらおばあが持ってる小さい苗はキャベツの赤ちゃんのようで、これから畑に植えに行くから一緒に行こうと畑仕事に誘われました。おばあの畑までゆっくりゆっくり歩きながら、おばあが那覇にあるタバコ工場で働いていた頃の戦後沖縄の話や沖縄戦の話を聞きました。

おばあの畑に到着 指差す先にいるのはタヌキみたいな猫
おばあの畑に到着 指差す先にいるのはタヌキみたいな猫

慶良間列島は沖縄戦でとても悲惨な戦場となっています。海空から激しい爆撃を受けたそうです。
戦中は座間味島でなんとか生きたようで、当時まだ子供だったおばあは親の目を盗んで醤油壺に指を付けて舐めるのが楽しみだったと言っていました。
しかし、状況は酷くなる一方で醤油を指に付けて舐める楽しみすら奪われ、名前の分からない繊維質の硬い葉っぱを細かく刻んで湯がいて食べる日が続いたようです。おそらくソテツでしょうか。
学校では竹槍で敵を撃つ訓練もしたと言っていました。おばあは小さいながら『相手は鉄砲を持ってやってくるのに、こんな竹で何が出来る』とおとうに当ったと言っていました。

その時こんな話を聞いている私の周りでは、鳥がさえずり、優しい波の音が囁き、キラキラと朝の光が注いでいます。おばあの綺麗に手入れされた畑のいっぱいの野菜は豊かに青々と命を輝かせています。米軍が攻めて来ることも気にする必要はありません。お昼ご飯は何を食べようとのんびり考えてればいいのです。
おばあの話とその時いる私の現実の差があまりにも開き過ぎていて、一人世界に取り残されたような感覚に襲われました。
おばあの話で戦争を知らない私の身に戦争の悲惨さが染みたのでしょう。ものすごい経験でした。

そしておばあはそんな悲惨な生活の中でよく歌を歌っていたようです。
当時の国が歌に乗せて子供に戦争を教えていたので、歌詞の内容はほとんど戦争のことですが、それでも歌というのは幾分気持ちを前向きにしてくれたようです。
畑に水をやっては休みを繰り返しながら、おばあの口から何曲も何曲も戦時中に歌った歌が出て来ました。
沖縄歌の独特な歌い方や調子の取り方と琉球語が沖縄という一つの世界を作っています。
沖縄歌ってなんでこんなにも懐かしい気持ちになるのでしょうか。

おばあは一曲歌い終わった後に必ず日本語に訳してくれました。
ここで私の胸の奥の奥の方をギュッと掴まれる歌に出会います。
私が学校で習った歌にここで再会したのです。

それが『てぃんさぐぬ花』です。
リズムと何となくの歌詞は知っていました。ただ、琉球語なので意味までは知りませんでした。

ここで動画の下に日本語訳を載せておきましたので、照らし合わせながら聴いてみてください。
目を瞑って音だけを心に染みさせながら聞くのもいいです。
とにかく好きな聞き方でいいので一度聴いてみてください。


【日本語(訳)】

一、
ホウセンカの花は
爪先に染めて
親の教えは
心に染み渡る

二、
天上に群れる星は
数えれば数え切れても
親の教えは
数え切れないものだ

三、
夜の海を往く船は
北極星を目当て(目印)にする
私を生んだ親は
私の目当て(手本)だ

四、
宝玉と言えど
磨かなければ錆びてしまう
朝夕と心を磨きながら
日々を生きて行こう

五、
正直な人は
後々のいつまでも
希望は叶えられ
末永く栄えるだろう

六、
何事も為せば
成るものではあるが
為さぬことは
いつまでも成らないだろう

七、
一人で出来ないことは
一人でやらず助け合いなさい
お互いに補い合って
世の中は成り立っている

八、
有っても喜ぶな
失っても嘆くな
それが良いことか悪いことかは
後々にわかることだ


九、
満たされている時ほど
謙虚さを忘れてはならない
稲穂が実ると頭を垂れて
あぜ道を枕にするように

十、
老人の朝夕の言には
真摯に耳を傾けなさい
老い先短い者の与太話などと
侮るべきではない
Wikipedia

おばあは5番までの歌詞の意味や思いを教えてくれました。
1番にある“ホウセンカの花は爪先に染めて”というのは、ホウセンカの花は赤く染まるらしく、それを今のマニュキアのように爪に染めていたようです。

この歌自体は教え歌でちょっとお説教っぽいところもあるのですが、
沖縄歌は宇宙と人の存在や命を掛け合わせて考えてる歌詞がとても多く、
2番の“天上に群れる星は 数えれば数え切れても 親の教えは 数え切れないものだ”という歌詞には特に衝撃を受けました。親の教えの数を無数に広がる星の数と比べて、親の教えを宇宙のように果てしなく壮大であると表現しています。
私はこの歌詞にとても救われました。
亡くなった母が私という宇宙の中で今もなお教え導いてくれていると信じていましたが、その思いの裏付けをしてくれたかのような歌でした。

安護の浦から見た星空
安護の浦から見た星空

沖縄歌が宇宙を歌うのも、この星空が見えることを考えるととても自然なことなんでしょうね。
ここから約1,700㎞。遠いようで近い。
座間味島で出逢ったおばあから、お母さんはいつだって教えと言う宇宙にいるよと教えてもらいました。




miku tsuchiya
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