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蔓延るジェンダーの罠

by miku tsuchiya

自分の中での男女の意識の埋め込みは生まれた瞬間から始まります。
もしくは生まれる前からかもしれません。
産婦人科の先生にお腹の赤ちゃんは女の子ですねと言われれば、女の子らしいピンクのベビー服を買い、女の子のそれなりの人生を想像しながら産まれる日を待ちます。
そして、無事にその日が来ると戸籍に女と評され正式に生物学的性別が女とされるのです。
さぁ産まれて間もなくして社会が用意した「らしさ」の枠で生きなくてはなりません。
女の子らしい思考で女の子らしい選択をし女の子らしい服で女の子らしい人生を歩むのです。
でも子供はそんなの意にも止めません。
誰だって最初は用意された服を着て教えられた言葉を喋り、
自然と女の子らしく男の子らしくなっていくのです。
でも自分を強く意識するようになる時に気付きがあります。
親や世の中から求められている「らしさ」つまりジェンダーの枠の中で生きることの不自由さに。
これは世の中がいう性同一性障害(この言葉は嫌いですが)の人のことだけを言っている訳ではありません。ストレートの人も含めてみんながどこかでは気付いている「らしさ」の中で生きる不自由さのことです。
そもそもなぜ男と女に分けなきゃいけないのか。
覚えている人もいるでしょうが、保健体育では生物学的な男女の違いは筋力と生殖機能と教わりました。
あと生理が来るか来ないか。でもそれは間違っています。現実はインターセックスの人もいますし、生理イコール女性と思われがちですが、これは大半がそうってだけで全てではありません。
女性でも全く生理が来ない人もいますし、インターセックスの人で生理が来る人もいます。
現実の性はまさに多種多様に展開しているのに国の戸籍作りの為にたった2つの性に分けられてしまったので社会にはいろんな問題が浮上しています。

なんでこの手の話をしているかというと、学生の時にジェンダー論や男女共同参画論をかじっていて、当時はその先生の部屋に通っていたくらい社会学が好きだった時があり、この分野の少しの知識を持っています。
でも、好きだったと同時に、この世の中は男女は平等でなければならないといちいち学ばなければ理解が出来ないのかと落胆もしていました。
そして現在、離島に行ったり田舎に住んでたりすると、何につけても女である男であるという要素をやらた重要視する傾向にあることにストレスを感じることが多いのです。
そしてジェンダーに縛られた社会で生きている不自由さの気づきを明確にしてしまったことで不幸な気づきをしてしまったのではないかと思い始めたのです。

でも、この手の差別って意識しなけりゃ大したことでもないんです。
個々の違いを無視した社会が作り上げた決まりみたいなものに乗っかって流れるように時間を過ごせれば楽なもんです。
でも気付きを得てしまうと、見て見ぬ振りは出来ません。ちょっ待って!っとなるのです。
「らしさ」を生きるのは楽しいですが正直それの倍以上に面倒臭いです。
ただもう気付いた時にはすでに遅しで、もう「らしさ」をどこかに意識して生活する習慣がついています。例えば服を選ぶ時だって、かわいい服なんて興味ないのに自分が女であることを考えると自分の趣向のものを買わずに何かに誘導されるかのように「らしさ」を求めた物を選択します。
でも最近はデートの予定もめっきりなくなったせいか自分が好きで選択した服を買うようになったかも。
その変化に満足している反面、女らしさの減退に危機感を募らせたりと自分が求めているものと社会が求めているものの違いに戸惑いながら自分らしさを見つけようとしているアンバランスさがあります。

そして、自分は「らしさ」に縛られるのを嫌がるのに、他の誰かには「らしさ」をどこかで求める矛盾。
この罠はどこから派生したものなのでしょうか?
そしてこの問題?は何らかの形で解決するものなのでしょうか?
そもそもこれは問題なのでしょうか?





miku tsuchiya
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